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2014年10月22日 (水)

間方村仮名主 本名俊之助(下中津川村名主)1853?~1868?

■2014年10月22日(水)雨

 
 午前中(9時~)、昭和村下中津川村新屋敷の本名(ほんな)信一さん宅にて、所蔵する文書より、三島町に関する近世文書30余点の資料調査をしました。午後から夜はその資料関連の調査をしました。以下のことがわかりました。信一さんは私の同級生で、昭和村文化財保護審議会委員です。
 
 
 江戸時代後期、野尻組下中津川村名主の本名俊之助(下中津川村名主四十年、野尻組惣代十三年勤務)が大谷組間方(まがた)村の仮名主を十二年間務めています(大谷組の仮惣代も九年間)。生まれは享和二戌年(1802)十月二十六日(○良医名誉之碑、発起文有り。『昭和村の歴史』118ページでは明治二十六年二月六日没、享年九十二歳)。幕末に会津藩の郡奉行の樋口源治治世に医業を学び、俊甫と名乗り医者でもあった。明治期に医業開業(明治7年か17年)。
 

 安政三辰年(1856)二月の文書「申聞」に、大谷組仮惣代・間方村仮名主 本名俊之助と出てきます。仮惣代は九年勤めた、仮名主は十二年勤めたと「○良医名誉の碑」文書に記載があり、着任は1856年ころと推定されます。

  元治元子年(1864)四月、「申聞」で田中新伍から間方村名主 本名俊之助に上下(かみしも)地一反が、その兼帯名主の労に、贈られています。仮ではなく名主と表記されています。62歳。

 慶応元丑年(1865)十二月の大谷組二瓶氏から間方村仮名主 本名俊之助宛の覚えがあるので、この年までは役をしていたことがわかります。

 文書資料の調査では、嘉永六年(1853)から慶応元年(1865)まで、間方村仮名主であったことが確認できます。本人が名主職を辞職したい願文では辰年正月とあることから慶応四年(1868)までの任であると思います。

 『三島町史』402ページで、角田伊一さんは、嘉永三年(1850)は名主義兵衛、組頭忠蔵、百姓代左兵衛が山論関係文書に記載があると書いています。間方村は長郷一族、舟木一族が名主を務め(口碑、言い伝え)、その後、天和年中(1681~83)に大谷村郷頭家から二瓶儀兵衛が名主職で入村した、としています。

 明治四年(1871)は野尻村中向の小林四一郎が肝煎(名主役)になっています。組を越えて名主をする、ということ、その後、明治期に逓信(郵便)制度がはじまると、間方村は野尻郵便局の配達区域となります。
 美女帰峠(現在は美女峠と表記)をで野尻組と大谷組(間方)は結ばれ、中世末?近世初期に下中津川ナゴウ原(現在の雪室対岸のタケノハラ)に居住していた長郷一族が美女帰峠の間方に移り(現在も下中津川村曹洞宗正法寺檀家)、幕末に下中津川村名主が間方村名主を兼帯しました。
 最近、三島町間方では「美女帰」を表示しています。
 

 
 
■会津の兼帯名主については福島県立博物館の故・酒井耕造の研究がある。『近世会津の村と社会 地域の暮らしと医療』(酒井耕造著作集刊行会、2007年)の174ページから「兼帯名主の村支配」(『福島県立博物館研究紀要』第一五号、2000年、初出)。
 
 
■『昭和村の歴史』(昭和村役場、昭和48年、1973年刊)は近世は室井康弘さん(田島町史編さん室長)、近代は酒井淳さんの執筆。117ページからの近世の人物では、画家の佐々木松夕の没年が安永5年と誤って記述されている。墓碑では、文化14年3月16日没。
 
 松山村の佐々木庄次右衛門、佐々木松夕、小中津川村の束原安則(蓬莱亭)、小林増右衛門(野尻村)、本名俊之助(下中津川村)、束原竜渓(小中津川村)、大島利三次(田島代官所大手付)、丹羽族(野尻代官所会津藩代官)がとりあげられている。
 
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間方村 仮名主 本名俊之助 を 大谷組 仮惣代に任命する。名字が表記されている。
 
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間方村名主(仮が、無い)本名俊之助。名字が表記されている。
会津藩から裃(かみしも)を褒美としてもらったということを裏付ける資料。
 
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文久三年(1863)定免帳。名のみ。間方村。百姓代、組頭、名主 俊之助

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嘉永二酉年(1849)十月、当酉御年貢割附之事 陸奥国大沼郡間方村(昭和村下中津川 本名信一家文書)
 

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大谷組河井(川井)村 寅松(虎松)に関連する史料。
『三島町史』(昭和四十三年、1968)359ページに嘉永三年(1850)名主帰投の件が記載されています。

 
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大谷組(間方村を含む)関係資料は30点ほど。この夏に、新しく確認されたものです。

■10月8日、三島町間方(まがた)
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