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2015年3月15日 (日)

修羅(シュラ)による材木搬出、、、、ダイジンゴウ様の御札

■2015年3月15日(日)


 未明より昨日の午前のフィールドワークのまとめ。

 他所での調査後、その内容を、父・清一(せいいち)に話して、大岐のかつての様子との比較をしています。

 今回、シュラ(修羅)という材木の搬出方法が出てきたので、14日の夕方に父に聞いてみました。「シラを架けて出す」(水を流す)。

  → 修羅   →修羅2


 大岐でもシュラによる搬出があったが、それは「砂子原(柳津町西山地区)ていが伐って出した」という。ていは達・衆という意味。
 カアタニ(川谷)の山を買ったとき、それを伐ったときに我が家を含む三軒分の木を出すときに樋状に皮向いた丸太を縦に並べて、その上を材木をすべらせた。


 赤目(白炭)のヒガマ(日窯)は8貫目2俵くらい出る。
 トメガマ(黒炭)

 棺桶に入れる杖(つえ)は「ノデッポー」(ヌルデ、ヌルデッポウ、ふしのき)。無いときはウツギ。
 
 アカゼンマイが良い。綿の黒いタツもある。

 また喰丸峠のダンザア(壇の沢)は、中向の春日神社のタユウサマの土地で、その左の本沢の木にコクワ(つる)があって、夜明け前の「くらいうちに」そこの近くに隠れてヤマドリが来るのを待つ。昔のトヤマチというやりかた。

 明るくなるとすぐヤマドリはコクワの実を食べに飛んでくる。
 遠くから飛んできたヤマドリはいったん樹下の雪上に着地してから、樹冠に飛び上がる。
 ちかま(近く)にいたヤマドリは直接、樹冠のコクワに向かう。 
 
 
 前坪山は、おらほう(大岐)では「ネコナキ」(猫啼)と呼ぶところではないかな?

 
■ 今日の父の話を、詳細について書いておきます。


 昭和二十六年(一九五一)五月三日、大岐の父・清一は十八歳で消防団に入ったばかりだったそうです。大岐の高畠の南のシモワンナ沢で村の人々10人ほどと春木山(薪伐)をしていたところ、空の異変(煙)に気づいて、春雄あんにゃと雪の残るクイナ山の尾根・シカブチまで登ってみたところ佐倉と喰丸の間にある大仏山から煙が見えたそうです。「山火事だ」と思ったようです。雪の尾根にはコブシの花が咲いていたそうです。

 父は集団で木伐り、木割りをしたのはこのときがはじめてくらいの時で、「イイワリ」という技法を教わったそうです。ノコギリで切り倒したコナラ・ミズナラ等の木を3尺ほどに玉切りして、それを割ります。一人でヨキ(斧)で割り、ヤ(矢、木製と鉄製がある)を入れ、割っていきます。これだと時間がかかるそうです。

 この時の技法は、木の両端から二人でヨキで交互に割っていくのでヤを入れる時間を省くことができます。
 
 若くはじめてだったので、いちばん「トシタカ(年令が上)」の「じあんにゃ」(利道)が付いて教わりながら二人でやったそうです。じあんにゃは見沢の木地挽きで、戦後に楢布開墾(地名改称して奈良布)に出て、当時、ワンナ沢でカタブチをしていました。

 共同作業での春木山(はるっきやま)は「モウシキ(燃やす木)」にする薪を雪上伐採・搬出し割り乾燥させ秋以降に使用するものです。1軒毎ミタナ(3棚)分を用意しました。3尺ほどの長さの割り木を積みます。高さ1間(けん、180cm)で長さが1間で1棚。

 炭焼きの場合は、高さは3尺(90cm)、長さが6尺で1棚。

 夕方、その日の作業を終えて、皆で歩いて村に戻るときに、まだ高畠は雪があって、その雪の上に「燃えた大神宮様の御札」「燃えた屋根のアサガラ」などが落ちていて、はじめて住宅火災だと思ったようです。
 

 夜七時のラジオで下中津川が大火であるというニュースを聞いて、火事は下中津川だと知って、大岐の消防団員はすぐに雪の柳沢峠を越えて小中津川の上田に行くと、下中津川集落は真っ赤に燃えており、残された土蔵でも、そのなかに火が入ったところを消したりしたそうです。いまの昭和村公民館の南隣付近の麹屋などの土蔵の肩から火がなかに入ったといって消していたようです。屋根を載せる肩にはひびが入って透き間ができることがあり、そこから火がなかに入ることがあるようです。

 父・清一は消防団に入ったばかりだったそうです。三日間ほど柳沢峠を歩き、後片付けに通ったそうです。小野川に分団長がいて、大岐では万吉さん(敏章さんの父)が副団長でその指示で大岐の人は峠を越えたそうです。

 現在の柳沢出口のスナックひのき跡付近には薬師様のお堂が建っていて、それは焼けなかった。

 
 

  大岐では、昭和十七年(一九四二)四月十一日の宮下大火も山から確認しています。我が家の父・清一の叔父の福二(中国戦線で死亡)が、まだ応召前に大谷(三島町)の親戚と博士山に登山(堅雪渡り)しており、大谷の方向から煙が上がっているをみつけたので登山を中止してすぐに家に帰った、というものです。

 
■ 焼けた御札が落ちてきた場所に新社殿を建てたという伝承は、小中津川の気多神社にもあります。

 紙製の御札(おふだ。昔は薄い木の箱のもあった)は墨文字。

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ダイジンゴウ様の御札(現在のもの)
 
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三島町間方
 
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トチモチ。

アク抜きの木灰は、九州産を使用。  → 枕崎の カツオブシ
 
 
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トチモチ、ウド、あんこ、ハクサイ漬け
 
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■ → ハヤシラボ

 


■ 宮西さん 目揃(めぞろ)え、根揃え、、、、品質 → かすみ草の、雪の昭和村

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  • 20070426img_5713
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  • 20070520img_0193
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IFEX2007_TOKYO_01

  • 20071011ifexdsc02602
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2007年11月

  • 20071108dsc04006
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  • 201507_19img_6580
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