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2015年4月30日 (木)

4月末日の行事(花の講座等)

■2015年4月30日(木) 曇り


 
 昨日は、東京駅から11時台発の郡山行きの東北新幹線に乗車しましたが、郡山駅構内での架線事故で停電、停車。小山駅にて長時間、運転待ちで、停車していましたが、乗車した列車は、郡山まで行かないことが確定し下車。在来線を乗り継いで午後5時に郡山駅着(宇都宮駅乗換、黒磯駅乗換)。新幹線の特急指定席料金4400円が郡山駅改札で現金で払い戻しになりました。乗車券分は徴収されます。
 黒磯駅の乗換後に、JRの対応に、激憤(おこっている)おじさんが一人いました。小山駅で昼食時間でしたが、ホーム、改札内には売店は無く、車内販売も無い列車でしたので、宇都宮駅乗換時に食糧を買いました。黒磯駅では50分近い乗換時間がありました。しかしこの時間で『岩波講座・日本の歴史 第9巻』が読了できました。

 この連休初日の事故で、6万人に影響、とニュース。
 

 
 本日は午後1時30分より、下中津川の昭和村公民館で昭和村花き振興協議会主催の、かすみ草の病害虫対策の講演会があります。
 終了後、もと昭和花き研究会会員に会場に残ってもらい、出荷用資材の昨年の残りの使用等について説明・協議します。30分程度。
 
 
■ 本日、午前10時30分より、川口高校(金山町)で12時30分まで授業があります。「奥会津風土体感プログラム」で、2時限を使用し、かすみ草生産と、地域の歴史などについてお話をいたします。
 
 
■ 5月1日から、通常の仕事(かすみ草のハウス建て等)がはじまります。

 
■ 40年間、黒字のスーパーマーケット福島屋 → 小川先生
 

かすみ草越冬株の古枝(芽)整理 → 新鶴・高尾嶺農園
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以下4月30日追記
 
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川口高校付近
 
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2015年4月29日 (水)

小山駅で在来線に乗り換えました。宇都宮乗り換え、黒磯乗り換え、で郡山に午後5時頃に。

停電で東北新幹線停車中

東北新幹線の新白河、郡山間の上り線の架線が切れ停電中、新幹線は停車。いま郡山行きに乗車中ですが小山駅で停車中。

桜井英治「中世の技術と労働」

■2015年4月29日(水)

 
 岩波講座・日本の歴史 第9巻 中世4 (2015年2月刊)

 
 桜井英治「中世の技術と労働」 は、読ませる、なかみは濃い。
 
 諸文献からの引用についても、引用文献への誘いも多い。
 
 三浦圭一が、前近代は技術と信仰(呪術)は、あい補い合う関係を示す、、、、技術の発達に聖職者がはたした主な役割として、①聖職者自身による技術の開発・伝習  ②技術者集団=職人層の政治的・社会的編成
 
 地域における職人組織の拠点になった西大寺末寺、、、、

 井原今朝男ら生業論のグループが三浦圭一の視点を継承し、
 
 「建築・工芸・美術・開発技術は、近代技術の進歩とともに脱呪術化するというウェーバー以来のシェーマは疑問であり、時代とともに合理的知識の範囲は拡大していくが、絶えず呪術的世界が残っており、各時代ごとに技術と呪術の二面性は存在している」。
 
 
 著者は、技術と呪術の問題と、労働と信仰の問題を分けるべきとして、
 
 多くの労働力が確保されたのは、諸仏・菩薩との結縁(けちえん)を求めた民衆の願い、つまり呪術よりも信仰の力であった、、、俗人が米銭を支払ってもはたせない労働編成を、聖がまさに全人格をなげうって示す菩薩行に対しては、手弁当でも労働奉仕をして菩薩行に結縁する、という、聖であるが故に期待される別の労働編成のあり方がみられる。

 勧進聖は、職人たちの技術の結集者である以上に、そのような信仰を媒介とした労働力の結集者としてあらわれることに注意したい。
 
ーーーー
 
 黒田日出男の整理で、
 
 木綿は兵衣や火縄などの軍事目的にも利用され、また和船も莚帆から木綿の帆に変わり航行能力が進歩し交通史上の変革も生みだされた。
 
 漁網が従来の葛藤や藁縄から麻苧(あさお)の網糸に変わり、材質の強化。
 
 鑓鉋(やりかんな)にかわり台鉋が使われ(15世紀)、結桶・結樽(13世紀)の普及が進み、肥桶が人糞尿の利用(14世紀)へ。
 

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 漁網の素材は?
 
 
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ユイ(ふるい)
 
 
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2015年4月28日 (火)

沖縄は雨、古い植物繊維の調査

■2015年4月28日(火) 曇りのち雨

 
 午後より雨。

 南城市中央公民館の民俗資料展示室、図書室を訪問しました。
 
 沖縄県立大学の祝嶺恭子染織研究室が、ベルリン国立民族学博物館が明治時代に琉球・沖縄県内より収集した布(衣類)等の調査をしていることがわかりました(2013年3月に報告書刊行)。 → 首里城公園
 4世紀から12世紀までは苧麻が素材で、芭蕉布はそれ以降出てくるようです。

 島内で、植物繊維の利用について見ています。
 
 帰郷予定が延期となりました。

 
■ 新・鳥居峠が開通したようです。 → 大芦家ブログ
 

 
 

 
 
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沖縄のからむし(苧麻)
 
 
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漁網
 
 
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稲わら、アダン(樹皮)、シュロ等
 
 
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わらむしろ
 
 
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畑から文化が生まれる、94歳の芭蕉布

■2015年4月28日(火) 沖縄本島滞在中 

 
 今日は昼より雨の予報。午前中はレンタカーで島内の探訪。
 
 27日(月)は、那覇市より自動車(レンタカー)で片道約3時間、北部の国頭郡大宜味村へ。なんども訪問している芭蕉布の喜如嘉集落へ。
 作業風景は写真撮影が禁じられているので、芭蕉布会館の1階に展示しているポスター等で紹介します。からむし(苧麻)も沖縄の畑からの産物ですが、芭蕉布も南につながる重要な品目です。喜如嘉の芭蕉布保存会の平良敏子さんは芭蕉布会館の2階で糸を績んでおられました。94歳です。
 
 
 午後に羽地の駅でトイレ休憩し、名護のひんぷんガジュマルの蔡温の三府龍脈碑(1750年)、博物館前の程順則像(1663-1734,1728年に名護親方)。夕方に那覇市内、浦添の太陽の花事務所に『会津学7号』を贈呈し、宿へ。
 
 26日は晴れ、27日は曇りですが25度。今日28日は雨になる予報です。
 
 
■ 沖縄の花市場は午後4時よりセリがはじまりますが、熊本県(天草)や和歌山県のかすみ草、、、、アルタイルがほとんどですが、入荷して、母の日前の繁忙期になっているようでした。

■ エチオピアから4月22日に直行便が成田へも。→ アフリカの花の元年に、直行便の飛来(大田花き・磯村信夫社長) 

 
 
 私は2011年1月下旬に、JFMAの視察でアフリカを訪問しましたが、すぐれた経営を行っています。 → 菅家アフリカ視察報告



 
■ JFMAは10月24日から11月2日に南米花視察を予定しており、6月16日の都内法政大での国際セミナーにはエクアドルで花の育種をされている西川公一郎さんを予定しています。
 
 
■ 
 
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東シナ海、おおぎみ村
 
 
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芭蕉布会館
 
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平良敏子さん、、、、、会館では「先生」と呼ばれています
 
 
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喜如嘉集落
 
 
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畑に植えて3年目の糸芭蕉の繊維を採取する。
繊維は「ウー」と呼ぶ。糸につなぐことを「うー・績(う)み」。

奥会津のアサ・カラムシは、繊維は「ヲ(を)」で、漢字だと「苧」をあてる。
「を・績み」。
 
沖縄の八重山諸島でのカラムシ(苧麻)は、「ぶー(うー)」。
 
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名護 程順則
 
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名護 ひんぷんガジュマル 
 
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蔡温 三府龍脈碑 1750年
 

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浦添市の沖縄県中央卸売市場花き部
 
午後4時からセリ
 
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 かすみ草 アルタイル

2015年4月27日 (月)

沖縄北部、芭蕉布の喜如嘉から那覇に戻りました。

集約化と量産化 商品作物は畠から生まれる

■2015年4月27日(月)   →東広島市議 選挙速報

  今回の出張は、昨日の協議で、日程が1日延長(29日まで)となる見込みです。
 
 40年ほど前に、奥会津の三島町浅岐から沖縄に移住され農業をされている方がいらっしゃいます。この1ヶ月に奥会津の聞き書きを続けてきていますが、明治以降、北海道へ(三島、金山、昭和)、サハリン(樺太)へ、沖縄へ、、、、という思いもかけない話しを多く聞きました。
 


■ 25日に開店した生花店の、26日午前に来店購買された人にお話をうかがうと、花はリビングによく飾る、という。特に、グリーン(葉物)は日持ちがよいので、今日も葉物を購入された、という。あなたはどこから来たの?と聞かれ、いろいろと話しをうかがうと、お子さんが愛知県に暮らしているということでした。

 店頭を離れたところから観察していると、花の生産者農家風の男性が娘二人と訪れ、店頭にて写真撮影をされていました。
 
 自分たちの生産した花・植物が、身近なところで見ることができる、、、、、それが現在地球上で広まっている直売所(マルシェ)とおなじような、意味合いが感じられました。
 
 一昨日の喜多方市内での座談会、その後の懇親会で、首都の大企業(小売業)の方も有機農業農家を探しておられた、、、、7月に都内でマルシェを、、、ということでインターネットで会津地域の事前調査をされたようでした、、、、、
 
 この後に書く書物に、

 畠地が商品作物生産の主要な舞台、、、、、畠地は元来荘園領主に把握されにくい地目であり、畠作の発展は、まさに商品作物の栽培をうながし、中世的な分業流通体制を創出する基礎課程(木村茂光)、、、、(桜井英治304ページ)
 
 畠(はたけ)で作られる作物、、、、その評価という理由は、水田の稲作が中心であると思わされてきたことへの反省からの立論です。それは現代にも、生かされるべきものでしょう。喜多方市での司馬遼太郎と徳一での議論がはじまった理由は、赤坂憲雄さんが、司馬の論説を引用され、「東北は水田でのコメ(水稲生産)の呪縛、、、、つまりそれは現代に続く中央政府による地方の支配、、、、、からの離脱が重要である、、、、」ということから、座談会が企画されています。
 
 畠の作物という概念をまず持つことが、地域調査のたいせつな視点であることを、今回の訪沖で醸成されつつあります。なぜなら大規模なコメの栽培とは縁のうすい地域である島々が連なる地域、それは奥会津の山々のなかに点在する集落(焼き畑、常畠が主、それも商品作物の生産に特化した)という位置づけから、ものごとを見ていく必要があります。
 
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 からむし、、、の上映 25日都内
 
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蚊帳(かや)見本
 
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都内馬喰町の アムコは、大芦家においてある本「輪土」を編集・出版された会社でした
 
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三島町のあけびづる細工
 
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■ 昨日に機内(3時間半)で読んだ『岩波講座 日本の歴史 第9巻 中世4』(2014年2月刊)の巻末は、桜井英治東大教授の「中世の技術と労働」。
 
 306ページ。集約化と量産化という二つのキーワードが中世の民衆的消費財分野における技術革新のあり方を的確にとらえている、、、、

 農業技術における古代の到達点の高さと、中世の限界性。

 近世の典型的な商品作物に数えられてきた阿波の藍(あい)が15世紀半ばにはすでに相当の生産量に達していた事実、、、、

 14世紀ごろの加賀や丹後などで行われていた絹物生産が製造工程の川上に撤退し、製糸業に特化しはじめる、、、、先進的な技術をもつ京都の絹織物業に、地方の製糸業が原材料ないし半製品を供給するという近世的な分業体制を先取りする、、、、近世に帰していた動向のいくつかは、中世後期にさかのぼることがしだいに明らかになってきたのである。
 
 
 かぎられた資源の分配に関する技術(農業用水の分配、建築業の請負制・入札制の発生、鋳物業や蝋燭(ろうそく)業の原材料リサイクル)、、、、そのような技術が発達するのはけっして豊かな時代ではなかろう。中世後期社会がさまざまな技術や産業を産み落としつつも根本的なところで貧しさ(あるいは質素)を脱却できなかったのは、ひとつには中世の技術が積極的な資源の開発や環境の改変を志向せず、資源や環境をいわば所与のものとして、それらとの調和をはかろうとする方向性をもっていたためと考えられる。
 
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以下の写真は、26日、沖縄。
 
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■ 繁華街を歩いてみると、隣国からの渡航者がとても多いこと、スーパーマーケットのレジに紙おむつ買い占め制限の紙が貼られています。
 「花王メリーズ 紙オムツ・パンツは、ひと家族様、合計4点限り」、、日本語ですが、、そして、いわゆるドラッグストアには隣国人が充満しています。
 

2015年4月26日 (日)

太陽の花、マカロン(沖縄ライカム2階

■2015年4月26日(日)晴れ


 朝6時10分、羽田空港発で沖縄へ。那覇空港よりレンタカーで、中頭郡北中城村の沖縄ライカムへ。昨日に開店したイオンモールは混雑しています。

 沖縄県花卉園芸農協(太陽の花)が花のアンテナ・ショップ「マカロン」を出店。
 
 花城達店長にご挨拶。
 
 昨日の開店日はライカム発表で、1万1千人の来場があった。

 
  花の生産者団体の新しい取り組みに期待しています。

 
 → 太陽の花

 → マカロン

 
 
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羽田空港 5時40分
 
 
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機中では『岩波講座 日本の歴史 第9巻 中世4』(2014年2月刊)を読む。
 
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那覇空港
 
 
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那覇空港も4月25日モール開店
 
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イオンモール 沖縄ライカム
 
 
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  マカロン
 
 

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かすみ草
 

2015年4月25日 (土)

出張へ(東京・沖縄) 赤坂憲雄・司馬遼太郎・会津の徳一

■2015年4月25日(土)晴れ


 本日、朝から上京します。馬喰町のアムコで、民映研の1986年制作の「奥会津のからむし、、、」「奄美、、、」の上映会が2回あります。12時からの上映は参加者がわずかでまだ入れるようです。15時30分からは満席になったそうです。もともと民芸店のせまい会場ですが、からむし生産の課題等について、来場されたみなさんの感想をうかがいます。

 昨夜の喜多方市内での会津の徳一に関する座談会、その後の懇親会でも、7月の昭和村のからむし織りの里フェアに来場されたことがある首都圏・会津の皆さんの多いことに気づきました。

 昨夜の締めくくりの赤坂憲雄さんの語りは、朝日新聞福島県版に連載していた「会津物語」の小さな物語でした。たぶんIPADにその記事がはいっていて、それを朗読されました。これは、夏に朝日から出版される予定です。懇親会の時も、その校正ゲラ原稿を赤坂さんは会津学研究会のメンバーと見ていました。
 

 司馬遼太郎の見た会津、ということも昨夜の座談の話題でした。
 前もって『白河・会津のみち、赤坂散歩』(街道をゆく33、朝日文庫)を再読してみましたが、会津の徳一と、幕末の松平容保(京都守護職)についての長い言及があります。その後段の締めくくりは次のようになっています。206ページ。

 
 私どもは、会津若松市で滞留中、東郊の山にある松平家の歴世墓所に登った。墓所といっても山一つが栄域で、それもよほど登らねばならない。
 
 山路はなんとも急で、五十歩ごとに息を入れた。途中、何カ所か風倒木が道をふさいでいるのが、意外だった。
 
 それもよほど倒れてから年をへているらしく、朽ちはてていた。このあたり、私の会津若松市の市民についての先入主と、どうも適(あ)いにくかった。

 
 日本じゅうがそうであるように、このまちでも、劇的なものが観光事業化されて、さわがしく再演出されている。(略)
 
 はじめてこのまちにきた二十年前が、なにやら懐かしい思いがせぬでもなかった。 
 
 ※1988年9月2日号から1989年3月31日号に『週刊朝日』に連載。その後、1989年11月朝日新聞社から単行本。朝日文庫は1994年版。




 
■ 4月26日(日)は、沖縄中部に開店した商業施設ライカム、そこに出店した「マカロン」という太陽の花(沖縄県花卉園芸農協)のアンテナショップを見る予定です。
 
 
■ 

2015年4月24日 (金)

喜多方から帰りました

■ 2015年4月24日(金) 晴れ


 夕方、喜多方市。18時開始でしたが、30分ほど到着が遅れてしまいました。満席でした(140名ほど)。

 終了後、懇親会(立食)に参加し21時に辞去し帰宅しました。

 会場は、会津の基層文化(縄文からの、、、、)と、現代をつなぐ回路として、慧日寺の徳一などが見えてくることが話されました。

 私は、司東真雄さんの「庄寺(勝常寺のような)とウルシ」という発想について、古代・中世のウルシの実態の解明が進めば、三島町の荒屋敷遺跡のウルシ製品との連続性が出てくることをお話ししました。ケヤキ(仏像・建築柱)とウルシが鍵と、、、。


 
■明日は朝から上京。

 
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(写真は有山美佳さんのFBより転載しました)
赤坂さん、五十嵐磐梯町長、五阿弥福島民友新聞社長、

チカバンジョの、からむし機織り道具製作

■2015年4月24日(金)


 本日の夕方、喜多方市内で座談会に参加(会津の文化を問い直す)。→ 座談会
 
 25日(土)の明日は、上京し、12時、15時30分からの、民映研の記録映画2本(奥会津のからむし、、、奄美の、、、)上映会に、いずれも参加します。上映後の座談会にて、からむし栽培・生産の現状について説明します。
 
 26日朝6時の始発機で訪沖します。
 
■ 三島町教委(山びこ)の川合さんと電子メールで打ち合わせ、5月4日に浅岐調査(聞き書き)を行います。
 
 
■ 昭和村下中津川字宿ノ原(しゅくのはら)の、鈴木木工所工房に鈴木ちかしさん(昭和4年生、1928年生、85歳)を訪問し、からむしの機織り道具類の製造等について話をうかがいました。大工として働いた後の、22年前から「ハタ(機)」を30台以上製作されました。

 「昔のことを取り入れて、やらないとだめだ」と。
 
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 一度体調を崩されたそうですが、現在は、イトヨリ(紡ぎ)に使う 糸車を2台、製作中。
 
 ちかしさんは、「チカバンジョ(番匠=大工のこと)」と呼ばれています。

 勥(キョウ、ちから、強の字の下に力という字)で「ちかし」と呼びます。
 この名前では苦労してきた、といいます。
 でもセイハン(製材)をしていた父親が付けてくれた良い名前です。

 平成24年8月29日に、第15回いきいき長寿県民賞を佐藤雄平福島県知事より表彰されています。

 
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第15回いきいき長寿県民賞より(平成24年)。福島県社会福祉協議会より 写真転載
 
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83cmの幅の布を織るための地機(いざり機)用のヒ。杼
軽いといわれ、オンノレの木で作り直したもの。
中央の凹みに横糸を入れる。
通常は、硬い梨の木を使う。
通常のヒの2倍の長さで、実際に使用されたもの。


ハタ(機)はホオノキが多いが、ベイマツで製作されたという。
ハタオリキカイなので、ちかしさんは「キカイ」と機をよぶ。
からむし織体験生の14期生までは終了時に、ちかしさん製作のハタを1台、村役場より贈与されたという。

キカイ(ハタ)に使うホオノキは、
太い木の、真っ直ぐなものから取ったものでないとだめだという。
 
糸車も製作された。

いずれも、よい材料(木材)を使わないとだめで、
くるわない木、よく乾燥した木を使うこと、という。

 
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伝統的な地機(いざり機)の腰板。ケヤキの柾目(まさめ)の板を曲げて使用。
「ケヤキのマサ」でないとだめだ、という。
昭和村では、かつての腰板は、ケヤキの外皮(樹皮)の曲がりを利用して製作していたそうです。

 
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ろくろ、ではなく、木工旋盤で製作した花瓶(ケヤキ)。
昭和村の老人ホーム竣工記念に依頼があり30個ほど製作。

昭和18年、14歳で東京都下の軍需工場に昭和村から動員。
その工場ではじめて木工旋盤に出会った。
敗戦で帰郷後、下中津川気多淵の栗城一喜さん(大工・番匠)の弟子となった後に、独立。60歳まで大工を続ける。

 
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10年ほど前に、お孫さんが描かれた「ちかばんじょ」の絵。

2015年4月23日 (木)

圃場の除雪作業(高畠の角畑)

■2015年4月23日(木)晴れ。

 午前、祖母17回忌の卒塔婆来る。

 
 定植したかすみ草エクセレンスに灌水。
 
 午後は、高畑の角畑のハウス圃場予定地の除雪。
 
 
■ 下中津川の鈴木ちかしさん(昭和4年生、85歳)を宿ノ原の自宅を訪問、上平の菅家和孝さん(昭和4年生、85歳)夕方に自宅を訪問しました。
 
 
■古本が届く。
 
 藩制史研究会編 『藩制成立史の綜合研究 米沢藩』(吉川弘文館、昭和38年)。代表は伊東多三郎。第6章は山形の横山明男が執筆。
 693ページに、「地下人上下身持之書」は直江兼続に仮託して、恐らく寛文~元禄頃に著わされたものと思われる、、、
 
 258ページには、「大沼郡八重山の内いものこうや 上漆 上蝋 事」蝋漆年貢割状(新編会津風土記81)。大沼郡芋小屋村にウルシが1300本(目通り4尺廻りを1本)。

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 この文字については、誤りと思われます。

 大沼郡金山之内いもノこう屋村  が正しい。

 
 
 
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エクセレンス(かすみ草早生種)4月23日。定植後9日目。

 4月14日定植時(下の写真)
 
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墓地に納める卒塔婆(そとば)
 
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大岐の玄関の改修はじまる。
 
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ダイコン
 

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角畑
 
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角畑
 
 
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岩下(上)圃場、モミガラクンタンを散布したところは土が見え始めました。
 
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朝9時
 
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夕方の濁り雪どけ水
 

 

奥会津大学 (2010年開学~6年次) ノリウツギ(楡木)と紙漉き

■2015年4月23日(木)

 
 本日の午前は、大岐。卒塔婆を持ち僧侶が来られる。
 
 昼前、村内。かすみ草定植分へのかん水等。

 明日の夕方は喜多方市。「会津の文化を考える(座談会)」。土曜日に上京、日曜より沖縄本島へ。
 
 
■ 奥会津大学実行委のメーリングリスト、、、(電子メール配信)で、今年度の講座等一覧がほぼ確定したようです。その予定として、
 
 6月7日(日)開講・基調講演が三島町名入の山びこで開催され、教養コースは6月17日(水)同所(菅家博昭)、7月5日(日)只見町ブナセンター(鈴木和次郎氏)、9月2日(水)柳津ふれあい館(松木武彦氏)、11月18日(水)伊南館(飯塚恒夫氏)、11月25日(水)昭和村公民館(菅家博昭)。
 
 実践コースは6月21日(日)森の分校ふざわ(上原巌氏)、8月2日(日)舘岩旧上郷小(平野健一氏)、9月12日(土)南郷月田農園(鹿島岐子氏、月田禮次郎氏、平野健一氏)、11月1日(日)只見朝日センター(新国勇氏)。
 
(検討案)
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■ 現在『福島県史 10(下)巻』(昭和43年、1968年)の近世資料4(1615ページ)を読んでいます。会津藩と南山御蔵入領の資料が巻頭から1213ページまで。後段に資料解説(1545~1563ページ)。

 巻末(1569ページ)から資料目録が掲載順に並び、資料番号・資料名・所蔵者名・掲載ページにて見ることもできます。
 
 
■ 1030~1031ページに、資料番号一五二 「延宝七年九月 御蔵入地 紙漉用木定法」という資料が掲載されています。これは三島町滝谷の山内俊衛蔵の『無機(頭?)雑補 家宝記』からの引用となっています。
 
 紙漉入用之楡木伐申ニ付 御定法ノ事
 
 これは楡木(にれのき)、、、、昨日はこの二文字を調べました。草ニレとも呼ばれる「ノリウツギ」のことで、トロロアオイなどと同じように紙漉(かみすき、和紙製造)のときに使用するものでした。

 1679年(延宝七年)の九月に、大石田村(現在の三島町)の八人が、沼沢村領分の椿平山、駒形山に入り、楡木を伐ったという騒動です。若松御役所(いわゆる会津家中(会津藩))で詮議が行われました。
 一二月二一日付で平尾清兵衛が、滝谷・大谷・大石・野尻の四組に通達を出したものの写しです。

 その後、1688年(元禄元年)九月、西方村(現・三島町)の大勢の者が高森村海老山村分(現在の柳津町・会津美里町)の山の楡木を伐り、田嶋村御役所(南山御蔵入領の代官所)で吟味。桧原舟場(現・三島町)まで旧例のごとく届けるよう指示される。(※西方は渡河しないと只見川右岸には行けない)
 
 1694年(元禄七年)秋、川口村(現・金山町)の者どもが、八町村(現・金山町)の山に入る。田嶋で吟味。その際に、口上に不調法あり、手錠にて町宿十日預かり。その後、所々で発生したが内証にて相済ましている。
 
 
 
■ 紙漉用には楮(奥会津ではコウズと発音)と、この楡木を使用します。楡木は山より秋の九月(旧暦)に採取するものだということがわかります。三島町の西方は西方紙という銘柄紙が知られていました。その隣村の大石田でも紙漉が行われていたことがわかります。只見川の流域(金山町・三島町・柳津町・西会津町等)は冬季間の紙漉を行っていた地帯です。昭和村では松山で行っています。
 
 楡木はノリウツギで白い花を咲かせます。これの樹皮の粘液が紙漉き時の重ねた紙の融着防止(乾燥すれば無くなる)に必要でした。
 
 ノリウツギをどのように呼称しているかの調査も必要です。

 大石田から沼沢、西方から高森と、かなりの遠方への山取に行っていますから、人の背に背負う分量があればよかったのでしょう。あるいは栽培化も行われずに、紙漉き集落周囲の山にはノリウツギが取り尽くされていたのかもしれません。川口から八町は近村ですが、いずれも川口紙という銘柄紙のところですので、資源枯渇があったのでしょう。松山で製造された紙は、川口紙という範疇で販売されたと考えられます。

 
■ この年、1679年(延宝七年)八月、熊皮・蝋(ろう)の密売事件で会津家中で、三名が死刑。その熊皮は志津倉山を取り囲む、間方(三島町)、琵琶首(柳津町)、大岐(昭和村小野川)。この三集落が、熊皮と熊の胆(い)を販売した。『会津藩 家世実紀』に所載。

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のりうつぎ

 
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■鈴木敏仁さんの アメリカ流通eニュース19-16号では、

 価格ではなく価値だ、と主張する人が日本には多い。ほんとうは価値というものは価格と品質のバランスで決まるもので、価格と価値を同列で語ることは間違い、この論に日本の小売企業は引きずられてしまって低価格へのこだわりが薄いようにいつも思う、、、、
 
 とあり、

 
 ディスプレーが多すぎて回遊性が落ちているということを言おうとしている。島陳列を指しているのだろうが、(略)
 このディスプレーの削減とはメーカーに要請したトレードマーケティング費の削減にもリンクしている。メーカー制作による販促ディスプレーを削減し店頭をもう少しすっきりさせて、その削減分を値下げに反映する、ということのようだ。
 

2015年4月22日 (水)

ヨザカリ(世盛り)のころ

■2015年4月22日(水)

 
 昭和村大芦の人の話のなかで出てきた言葉。はじめて耳にした言葉です。
 


 よざかりのころ、、、、世盛りの頃、、、、

 大芦赤田に、戦前、醤油製造をされている家があり、結果として没落し、その樽類は田島永田の渡部家(恒三さんの生家)に渡ったようですが、、、、

 「にしゃいが ヨザカリのころ、使ってもらった」という表現です。

 若い頃に、そこで働けたことに感謝した言葉です。

 
 「世盛り」、、、、最盛期という意味でしょう。
 
 
 辞書には「栄華をきわめること。また、その時期。全盛」とあります。
 
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績まれた植物繊維、これに撚りをかけると糸になる
 
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4月21日の18時30分より練習(5月30日公演、大芦家で)。
 
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大芦
 
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写真はクリック(押す)と拡大します。
 

ユジノサハリンスク、、、樺太の豊原、、、大芦より移民(出稼ぎ)

■2015年4月22日(水)


 今日はスミカの柿沼さん。

 
 
 
 

■ 4月21日(火)の夕方にJFMAの松島義幸さんから電話があり、5月25日の午後3時30分から、都内で日持ちの会議を予定している、とのことでした。

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■ 1973年(昭和48年)に発刊された『昭和村の歴史』の近代(第5・6章)は、酒井淳氏が執筆されている。

 152ページに「移民」として、

 野尻村の出寄留者は1912年(大正元年)から1921年(大正10年)まで、10カ年平均184人、1918年(大正7年)以降は200人以上の男女が流出している。
 1921年の常住人口が1883人であり、その10パーセントが村を出ている。このほか大芦村があり、1927年(昭和2年)に合併する。
 
 明治初年に本名宗三郎が北海道へ移民。その後、1906年(明治39年)に小中津川の栗城小太郎が北海道サロベツへ移民、翌春に小太郎を頼り松山の佐々木登(当時11歳)がサロベツ移住、酪農で成功している。
 
 海外移民は、日露戦争後は満州へ、第一次世界大戦後は南洋諸島へサトウキビ作りに、さらに昭和9年の凶作後と、第2次大戦後はブラジルへ移民している。

 ※ここにロシアのサハリン(樺太)への移民、出稼ぎについては書かれていません。
 

■ 2015年4月21日の午後、昭和村大芦で、現在のロシアのサハリンの州都ユジノサハリンスクで1935年(昭和10年)に生まれた女性から話を聞きました。 
 
 3歳のとき、1938年(昭和13年)に帰国されています。その後は大芦で暮らしています。当時は樺太(からふと、南樺太)の豊原(とよはら)町といい、そこで生まれ、母の背におぶわれたときの記憶として「水道の蛇口を母がさわっている記憶だけ」が当時の樺太豊原での記憶だそうです。日本に帰国して昭和村大芦では、まだ流水を汲んで水道としていたので、鮮明に記憶にあるそうです。
 
 1938年頃に帰国された人々は、樺太で生活した用具をすべて移送できたそうです。しかし戦乱となり敗戦でロシアが侵入してから帰国された人たちは着の身着のままでの帰国となったそうです。
 
 大芦からは数十人(十数組?の家族)が豊原に行っており、「チップコウバ(パルプ工場)」で労働したようです。王子製紙豊原工場は1917年から1945年(敗戦)まで稼働しています。
 またこのパルプ工場に原木を伐り出すための伐採夫、山師として働いた人も多いそうです(ジロキチ爺、ジンゴ爺など)。
 船での渡航で船酔いがたいへんだったようです。
 
 日本占領下の、当時の樺太の豊原町(ユジノサハリンスク)は近代都市でした。
 
 
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王子製紙 樺太の豊原工場(パルプの原木が積んであるのがわかる)
 
こうした労働経験から、昭和村野尻中向でのチップ工場(昭和42年、昭和森林開発操業)が出てくるのかもしれません(『昭和村の歴史』127ページ)
 
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樺太 豊原市街
 
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以上の写真・地図はウィキより
 
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挽いた繊維を裂いたもの。これを繋ぐ。
 
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おうみ(お績み)
 
 
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昭和村小野川字板宿のかすみ草ハウスの雪害(博士峠) 4月21日撮影。
 

 

 

2015年4月21日 (火)

5月13日(水)午後1時より、全体会議・出荷会議

■ 4月21日、9時25分にファクスにて以下の通知が届きました。

 
 
 
 2015年5月13日(水)に、奥会津・昭和村野尻中向のしらかば会館で、JA会津みどり・かすみ草専門部会(立川幸一部会長)の平成27年度全体会議・出荷会議が開催されます。
 
 午後1時より 全体会議
 午後2時30分より 出荷会議
 午後6時より 情報交換会
 
■生産者の出欠は各農協(昭和57-2239,柳津41-1900、三島52-3367)まで、4月30日の午前11時までファクスにて連絡を。複数出席可。
 
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2014年9月18日、昭和村矢ノ原高原、昭和村花き振興協議会かすみ草試作圃場にて撮影。
 
 

水本邦彦 『村 百姓たちの近世』(岩波新書・シリーズ日本近世史2、2015年2月刊)、井上重陽『最新工芸作物教科書(苧麻)』(昭和9年)

■2015年4月21日(火)  

 
 本日午前は通院。

 夕方に昭和村へ(定植かすみ草ハウスの生育調査)。夜は大芦家で5月30日の演奏会の練習があります。

 明日の昼に、スミカの柿沼さんが来県され、会津若松市内で、今年のかすみ草の試験(新種系統選抜)の打ち合わせ。スミカの系統(ダンジガー育成品)を1999年11月に自費でイスラエルのダンジガー本社訪問後から、同社のかすみ草新種を、継続して見ています。

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 昨日(20日)は、雨でした。午前、三島町宮下の奥会津書房に佐々木長生先生が来所され、先生に、この数ヶ月の奥会津での聞き書き調査での採話しての初出の語彙(ごい)について、助言をいただきました。近世の書物『会津農書』の研究者であり畑作等の語彙についても詳細な知識を持っておられます。
 

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 5月23日、24日の土日に郡山市にある放送大学福島学習センターで8単位の面接授業(所長特別企画授業)があり、その2単位「基層文化とは何か、暮らしを支える仕組み」「奥会津人物ヒストリーに学ぶ 次代を拓く農」を私が担当します。講師は「福島の暮らし・文化をつなぐ」遠藤由美子さん、境野米子さん、「高等教育と学びの変化」渡部芳栄さん。午前10時より午後5時まで。
 遠藤さんは「会津物語(朝日新聞福島版連載)」が生まれた背景、精神文化の掘り起こし」「基層文化を伝える仕組み、子どもの聞き書きと方法」。この授業の打ち合わせと資料作成について遠藤さんと打ち合わせをしました。この授業については、昨年の9月11日から森田道雄所長と打ち合わせをしてきました。
 
 私は資料については21日の朝に送付しました(PDF 9ページ2種)。

 5月10日(日)に三島町内で「会津学研究会例会」を開催することで、事務局の遠藤由美子さんと、日程を決めました。場所は三島町内ですが、未定(西方の西隆寺か、宮下の奥会津書房)。会員には後日に電子メールにて事務局より連絡します。
 

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  その後、金山町川口の県立川口高校を訪問し教頭先生と4月30日(木)午前10時35分から12時25分に開催される総合学習「奥会津風土体感プログラム」の2時限の講座について打ち合わせを行いました。この講座は2006年よりはじまり、私は2007年からお話をしています。後日に資料は送付します。

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 昭和村佐倉のからむし工芸博物館に吉田有子さんを訪ね、開催がはじまっている企画展の報告書の原稿等について打ち合わせ。近年に明らかとなった会津地域のからむし(青苧、苧麻)に関する資料の解説を書くことになっています。締切は4月末。
 

 
 
■ 近世(江戸時代)の農村社会の理解のために水本邦彦氏の著作はよい本です。このたびシリーズ日本近世史2 『村 百姓たちの近世』(岩波新書、2015年2月刊、780円)が発刊されました。良書です。
日本史リブレット52『草山の語る近世』(山川出版社、2003年、800円)は、「草を肥料とする農業」を明確にされましたし、全集・日本の歴史10『徳川の国家デザイン』(小学館、2008年、2400円)の227ページから「農と自然の風景」でも、新しい切り口で農村の解明をされています。
 
 岩波新書のシリーズ日本近世史はこの1月から刊行がはじまり、3巻まで発刊されています。第1巻は藤本譲治『戦国乱世から太平の世へ』で、冒頭から「天下」の意味するところが、当時と今では異なっていたことを明らかにしています。
 
 
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三島町滝原(只見川左岸)より南西方向、金山町沼沢の有倉沢を。
中央後方の残雪のある双耳峰は大高森山・小高森山と思われる。
左方が三島町浅岐・間方と接する。
 
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4月18日ころより国道401号、博士峠が再開通。
5月4日に水芭蕉祭の開催される昭和村小野川の板宿地域。

 
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水芭蕉の群生地、白い苞が出始まっています。
 
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正面奥がブナ清水。
 
標高1000m。
 
 
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博士峠頂上。
 
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井上重陽農学博士著『最新工芸作物教科書』(冨山房、昭和9年刊)。

いのうえ・ちょうよう(1893-1981)
昭和6年11月7日、日本作物学会で講演当時は、宮崎高等農林学校。
1931年の日本作物学会vol3no4

 
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苧麻(からむし)の根株。1が吸枝で新芽が出る、これを切り繁殖の根とする。2は栄養を吸収するためのゴボウ根。
 
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苧麻の剥皮機。鹿沼のアサでもこれを現在も使用している。
 
 
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アサを挽く道具類 アサ挽き台と挽子(ヒキゴ)。
 

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苧麻(からむし)
 
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■ 4月19日(日) 昭和村喰丸にとあるカフェが開店。 → 斎藤環さん


 

 
 

2015年4月20日 (月)

ノート(青山FMの井上社長) 融雪ハウス建て

■ 時に、自分の過去のブログの同じ時期の記事を読み返します。2006年から9年分


   井上さんのノート150冊。  → 2006年の4月19日 

 
 
   雪は消え、岩下圃場のハウス建てをしています。 → 2007年4月20日


   雪はほとんど消え、ハウス建てへ → 2008年4月20日
 
 
 
   ハウス建て → 2009年4月20日
 
 
   雪が降りました → 2010年4月22日
 
 
   雨に → 2011年4月23日
 
 
   かすみ草の定植 → 2012年4月19日
 
   ハウス建て、サクラ会津若松早く咲く → 2013年4月20日
 
   新カスミ草マグネットの定植 →  2014年4月21日
 
 
 
 



週末に向けて

■2015年4月20日(月)

 ほめていただきました。 → JFMA・MPSの松島義幸さんのブログ
 
■ 2001年の深刻な5つの経営課題とは、
 (1)「為替レートの反転」
 (2)「高齢化社会の到来」
 (3)「食文化の和風回帰」
 (4)「後継経営者の不在」
 (5)「安価で良質な労働力の確保」
 
■ 北海道当別の井野さんのかすみ草、、、、、→ 開花に向けて、、、、
 
  → 中央花卉店頭
 
 
 雨の日、昨夜は、会津若松市内の食堂にて夕食会があり参加しました。会津坂下町の喫茶店ラマの佐藤衆さんが主催しました。かつての「繋ぐ塾」の仲間とも会いました。地域文化の掘り起こしと継承、、、、柳田国男・折口信夫・宮本常一・南方熊楠などの原著の読書会を師・周東一也先生の家で続けた時代です。

 今週は、21日の夜が昭和村大芦のファーマーズカフェ大芦家で、5月30日の音楽公演のための練習の開始日。
 
 22日は、会津若松市門田町のお寺から卒塔婆受領(祖母トシの17回忌)。
 
 23日は福島市の予定。
 
 24日(金)は、夜の喜多方市の大和川酒造北方風土館での公開座談会「会津の文化を問いなおす」に出席します。
 
 25日より上京し、26日より沖縄です。


 25日は12時、15時30分からの2回、昭和村のからむし(苧麻・青苧)についてと奄美の映画が馬喰町の民芸店で、上映されます(上映は24日も開催)。私は25日の上映会に参加します。会場のギャラリー・アムコでは、店頭特集「うちなーへの旅」展 2015年3月3日(火)- 6月27日(土)、店頭展示「奥会津の手仕事・通草籠(アケビかご)」2015年4月21日(火)- 5月1日(金) が開かれています。



 8月1日に、新潟県十日町市千手中央コミュニティセンターでも、奥会津昭和村のからむし栽培の映画と、福島市の茂庭のしなだ織りの記録映画(民族文化映像研究所制作)が上映されます。
 姫田忠義ドキュメンタリー作品連続上映会が行われています。

 
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 ※今年の昭和村佐倉のからむし工芸博物館の展示解説冊子の原稿を、今週に仕上げます。これまで調査して新しく確認してきた村内の資料(文書)の原稿化です。毎月1日に発刊されている『広報しょうわ』(昭和村発行)に紹介していますが、それのまとめになります。
 そのための追加調査を、今週、村内の資料所持者宅を訪問、聞き取り調査、関連文献の調査を図書館・博物館・資料館等で行う予定です。
 

 
■会津の文化力、後世につなぐ 喜多方で4月24日に座談会
 
 奥会津書房(遠藤由美子代表)は24日午後6時から、喜多方市の大和川酒蔵北方風土館で文化交流会「会津の文化を問いなおす 徳一から司馬遼太郎へ」を開く。
 
 会津の文化の持つ力を見直し、次世代に継承するのが目的。併せて、書物などを読み、思考を深める大切さも発信する。遠藤代表は「会津の文化力を後世につないでいく努力が必要。文化交流会が大勢の人にとって考えるきっかけになれば」と話している。
 
 24日は遠藤代表があいさつした後、座談会を開く。パネリストは、
 赤坂憲雄県立博物館長、
 五十嵐源市磐梯町長、
 菅家博昭会津学研究会代表、
 五阿弥宏安福島民友新聞社長。

 参加無料。問い合わせは奥会津書房(電話0241・52・3580)へ。
(2015年4月11日 福島民友おでかけニュースより転載しました)


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■ 赤坂憲雄『司馬遼太郎 東北をゆく』(人文書院、2015年1月刊、2000円)を、いま、読んでいます。4月からの会津若松市内の福島県立博物館での赤坂館長の講座も、『司馬遼太郎』がテーマです。 → 司馬遼太郎の東北紀行
 
 本書のあとがきに、、、、東北は、この「日本」という国家(それはもちろん、歴史家の網野善彦が語ったものだ)にとっては、まさしく千年の植民地である。
 
 <風土の旅学>と赤坂さんが呼ぶ仕事。先人たちの紀行文を携えて、その土地を「歩く・見る・聞く」ために旅をする。東日本大震災の以前から続けてきた仕事ではあるが、3.11以後は、それがどこか巡礼の旅のようになっていった。
 司馬遼太郎の『街道をゆく』を読む。
 
 司馬の東北紀行の見えざる中心が、ほかならぬ会津であった、、、、、、
 
 司馬が抱え込んでいた、会津への、東北へのいわば贖罪意識は、あえていっておくが、司馬その人の精神の深みに根ざしていたものである。
 なにより、正義のドグマを振りかざすイデオロギーの下僕たちに向けての、司馬の激越といっていい批判の眼差しには、熱い共感を覚えずにはいられなかった。
 東日本大震災は、この国の知や思想のうえに巨大な地殻変動を巻き起こしている。浅薄きわまりないイデオロギーの下僕たちとの戦いから、逃げるわけにはいかない、とあらためて思う。
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2015年4月19日 (日)

姫田忠義『ほんとうの自分を求めて』(クリエ・ブックス編集室、はる書房、2013年12月刊)

■2015年4月19日(日)

 初版は1977年、「ちくま少年図書館36」。クリエ・ブックス編集室(今井千洋、今井友樹、高嶋敏展)。梅津研の挿画。
 姫田忠義さんは1928年9月10日神戸生まれ。1976年、民族文化映像研究所を設立。2013年7月29日逝去。


■ 三版、講談社現代新書 『アイヌ学入門』→ 瀬川拓郎 北の考古学 
 
 
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2015年4月18日 (土)

サクラ咲く、会津若松城

■2015年4月18日(土) 晴れ


 午前中、旧・田島町糸沢の奥会津博物館に調査員の渡部康人さんを訪ね、いろいろと教えていただきました。


 夕方、風が吹きましたが、一日晴天でした。
 
 友人より誘いがあり、ひさしぶりに、会津若松市内の鶴ヶ城の夜桜を見ました。サクラの樹下での会食でした。城内の公園に行った頃は人出はそれほど多くはありませんでしたが、8時ころに帰るころ、各城郭口より見物客が多く入り込んできていました。満開です。

 美しい花、桜でした。 

 
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優れた撮影地点を教えていただきました。
 
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博士山
 
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■ 4月30日(木)午後1時30分から、昭和村公民館にて、かすみ草栽培学習会。
 
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2015年4月17日 (金)

箕輪 諒 『殿さま狸』

■2015年4月17日(金) 雨


 箕輪諒『殿さま狸』(学研、2015年4月刊、1350円)は、蜂須賀家政の小説。内容は藍の栽培など慧眼です。
 

 
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ユキノケするまで、手をかける(柳津町銀山川流域)

■2015年4月17日(金) 雨


 本日も朝から、金山町太郎布・沼沢地区の古老を訪ねる。
 
 19日(日)の夜は会津若松市内で、喫茶店ラマの店主佐藤衆さんらと会食の予定。
 

■ この2月28日に柳津町の銀山川流域の集落を訪問しました。もちろん行った事のない民家を5軒ほど訪問し、玄関先で「昔の話は知らない」と、拒絶されます。これが普通の対応です。そうした場合に、「どなたか知っているお年寄りの人はいませんか?」とうかがいます。でも何も話を聞けずに一日が過ぎていきます。
 
 「最近、病院に入院された」「老人ホームへ行かれた」「県外の子どもの家に引っ越しされた」というのが多くなっています。昨日訪問した金山町の集落でも同じように、地域のことを語れる(今回は土地・沢・山などの呼び名を調べています)古老が少なくなっています。
 
 そして大きな民家、かやぶき屋根にトタンを葺いた形式のいわゆる築数百年経過している大きな古民家の空き家もたいへんお多くなっています。奥会津各地で、一集落内の2~3割は空き家となっており、その付帯土蔵や小屋などの雪による倒壊もこの冬には多く見られました。
 
 家屋や土蔵の解体には最低300万円以上の経費がかかります。
 
 
■ 先日、柳津町の銀山川流域の集落を再訪し、1軒目に訪ねたお宅で、「あそこの家なら89歳のじいちゃんがいて、まだ元気なので、なにか知っていることを話せると思う」というので、通算7軒目となる家を訪問しました。
 
 高台にある家の玄関でおばあさんが、コタツに入れる練炭の入れ替えをしていました。用件を伝えると室内におばあさんが声をかけられ、おじいさんが玄関まで来られ、「昔のここの土地での暮らしなどを教えていただけないか?」と伝えます。一考され、「役に立つかどうかはわからないが、どうぞ、家の中に」と。

 ご主人は、大正15年生まれ89歳。奥様は昭和4年生まれ85歳の二人暮らし。戦後の昭和25年頃に結婚され、すでに3人の子は独立し、孫も。

 地域の暮らしや、生業をうかがいながら、気になった「言葉」を、最後にまとめて再びうかがう。
 
 時に祖先が植えたキリ(桐)の木を売ることで暮らしを助けられてきていて、このご夫婦の場合には2度そうしたことがあった。昭和30年頃の父の病気で、キリの木を売って入院費用を賄った。そして夫婦で新しくキリを植えて、子どもが結婚するときにそのキリの木を切って売った。
 その後、定年となるような年代からは畑や田の土手に、クリの木とケヤキの木を植えた。スギの木ではない選択をされている。この半年に訪問した奥会津の他所では、「スギの木を植えて失敗した」と語る古老が多い。販売しても無価値に近いためだ。

 植えた木の手入れをうかがっていると、「ユキノケするまでは、手をかける」と語られる。木の背丈が積雪深よりも伸びて、雪上に木の梢が出るようになると、一人で生きていける、という意味。たぶん「雪抜け」という意味であろうと思い、その意味を詳しく聞いた。

 奥会津地域では、一般的表現として「雪負け」という言葉がある。木を植えても雪に押されて育たないこと、等を意味する。


 特にケヤキについては苗を植えるという行為を、「ケヤキの子を採ってきて植える」という表現をされる。ケヤキ樹下に、その種子が落下し、自然発芽したもの(苗)を採り植えている。「木はひとつき(一月)にいっぺん(一回)見て回る」のだそうだ。毎日行っても変化がわからない。ひとつきだと枝振りの補正や、いろいろわかるのだそうだ。

 アサについても話をうかがうと、戦前の早い時期に栽培を止めている(だいたいの地域は養蚕に転換している)。しかし、「アサは、土地のよいところに植える」ということを伝え聞かれていた。アサを作らなくなると、イナワラに樹皮を混ぜて綯(な)ったりしてロープなどを作ったが、アサの強度にはかなわないと語る。
 
 
 野菜など買った方が安いけれど、そして「手間にはあわね(合わない、非効率)」けれども、自分で食べるものは自分たちで畑で作っている。小さな粒のナットウマメも作り、選別(コーヒーのようにピッキング)し、納豆も食べる分を作っておられた。

■そういえば、先日の我が家でも父・清一は「わがい(我が家)で作れるモノ、、、、買ってらんにぇべ(買わない)」このときはダイコンの話、、、かすみ草を定植したハウスの畝の空間地にダイコンの種を蒔くかどうかの議論のとき、ダイコンの種を蒔くという主張をされた。

 三島町大石田の渡部和さん、福島民報サロン(新聞)に連載をされていますが、数年前から奥会津書房の遠藤由美子さんらと「古老に学ぶ暮らしの知恵~アルガナデマニャセル暮らしの豊かさ」という表現を取り上げています。

 「買わずに」「身のまわりに、今、あるもので、間に合わせる」という新しいライフスタイルの提案は、かつての奥会津の暮らしそのものでした。
 
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ナットウマメ

自家採取をして蒔くを繰り返す。何年も繰り返す。
そのうちムラサキ色のマメが出てくるのだそうだ。
そうすると新しいマメの種を買って蒔く。
 

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■ 会津藩が1809年(文化6年)に完成させた『新編会津風土記』。会津若松市門田町の歴史春秋出版社刊(2002年)の5巻本のなかの4巻の285ページから巻之九十三 陸奥国河沼郡 牛沢組 に柳津村など銀山川流域の村が記載されています。

 
 297ページの塩野村は、先日融雪土砂崩れが発生し通行止めとなっているところですが、ここに「銀山川」が記載されています。
 
 銀山川(ぎんざんがわ)

 村東ニアリ、軽井沢村ノ銀山ヨリ出ル故此名アリ、北ニ流ルルコト三町猪鼻村ノ境ニ入ル、広四間計、金気アル故ニヤ魚類ヲ産セス


 これは「金気(かなけ)があるから魚類が生息しない」ということを行っており、最上流の会津藩営の軽井沢銀山の鉱毒汚染によることを言っています。
 そのためこの銀山川が只見川に合流する場所での魚の捕獲は禁じられています。これは虚空蔵様のおられる場所であり、魚群豊かな魚淵(うおぶち)といい、それは「虚空蔵様の使いの魚だから採らない、食べない」ことで人々の行為を制限(禁忌)とし、魚摂取による鉱毒汚染を予防したものと考えられます。

 『新編会津風土記(4)』287ページでは、魚淵 只見川ノ東岸ニアリ、此地昔ヨリ漁猟ヲ禁スルニヨリ魚多ク此淵ニ集ル、、、、
 ここに、蒲生家による「毒流し」の記述もみられます。これも軽井沢銀山経営が藩営・藩主との関連と考えられることを寓話化したものと思われます。その罰が慶長大地震で虚空蔵堂が破壊される、、、ということで説明をしています。


 
 291ページの阿久津(アクツ)村。此村旧悪津ニ作ル、寛文中今ノ字ニ改ム、、、、金谷(カナヤ)川 村南四町ニアル渓流ナリ、昔山賊ココニ出テ往来ヲナヤマシ、奪取シ金銀ヲ此水ニテ洗シユエ金洗沢トモ名クト云、長倉村ノ山中ヨリ出テ西北ニ流ルルコト五町余、只見川ニ入ル

 金属の精錬の金洗水の汚染を背景とし、その場所が悪津と思われる。

 いずれも虚空蔵と、金属(鉱山)開発との関連がよく見えます。

 奥会津の巨岩・磐座の場合、山中の場合は天狗岩となり、河川沿いの場合は虚空蔵岩というような呼称と、それにまつわる地名譚を抱えることが多いようです。いずれ修験が関与したものでしょう。
 

 
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2015年4月16日 (木)

金山町沼沢を行く

■2015年4月16日(木)晴れ


 本日は、金山町沼沢集落にて、浅岐との隣接地名の聞き取り調査をしました。明日も継続して調査を行います。明日は太郎布の訪問からはじめます。
 集落の広場の一カ所に駐車して、集落内を歩いて、道ばたでスコップで雪消しをしている人など、道路に出ている人たちにまず話を聞いて、古老宅を教えてもらい、訪問をしています。大きな民家ですが、戸締まりをしているお宅が多いです。
 
 沼沢と浅岐・間方は尾根を接して隣接していることから、地名表現に共通した傾向がみられることがわかりました。
 
  三集落に共通した呼び名は「タネイリ沢」「にのたいら(二ノ平)」というものです。山中の段状平地は大岐・小野川では「にけえ(二階)」となります。「タネイリ」呼称場所には「田の入」という近世文書での表記が見られることから(浅岐)、水田の広がる窪地(集水域)の奥(イリ)の場所を指すと思われます。
 
 帰路、早戸でニホンカモシカを見ました。
 また、夕方でしたが、近世後期に、慧日寺の僧侶となった雄仁の供養碑の調査もしました。アサヅキ(山菜)を洗っている女性2名がいました。豊富な水量の地区です。

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沼沢・太郎布     右側は浅岐
 
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金山町上野沢、高森山
 
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太郎布
 
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高森山、この尾根の先が三島町浅岐・間方
 
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沼沢
 
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沼沢
 
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法印雄仁碑(高清水)
 
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はじめて会う人に、親切な人が多い。
 
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アサヅキ
 
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 ■ 沼沢出身の → 栗城みちの

花の会議の日 (2015年から2カ年の新体制へ)昭和村のかすみ草65,365箱 3,497,835本

■2015年4月16日(木) 晴れ


 今日は聞き取り調査のため奥会津地域の集落を訪問。明日も継続の予定。 

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 昨日(15日)の午後より雨、雷鳴、雷雨。
 
 
 

 

 会議の始まる10時前まで、ビニルハウス屋根に遮光スクリーンを被覆しました。風害予防の意味もありますが、14日に定植した苗を守る意味もあります。
 今年は雨の多い4月です。河川も雪どけ水と降雨の濁流が本格化してきました。
 
 10時からの会議は、昭和花き研究会が解散したため規約の改正と役員の新たな選任、課題等の整理と方向付けでした。水道(井戸)の問題や、次に屋根の塗装等のことでした。昭和村農林水産物集出荷貯蔵施設運営協議会は本名智JA会津みどり昭和総合支店長が会長で、昭和村役場産業建設課長が副会長です。

 2014年の雪室倉庫の取扱量は 65,365箱 3,497,835本(主にかすみ草で6月から11月)


 なお来年3月1日に会津地域4農協(あいづ・みどり・いいで・みなみ)の合併(会津よつば農協)については、本年の8月の会津みどり農協の理事会で、10月末頃開催予定の臨時総代会を確定し、その総代会での決定が正式となるそうです。


 
 11時からは昭和村花き振興協議会総代会で、こちらも体制が大きく変わるので役員の改選等がありました(立川幸一会長は留任)。事業については新規就農者等を受け入れるための各種事業、昭和中学校での花育等の継続事業が確定しました。
 かすみ草栽培体験ワークショップは4回の開催(土日、6月27日、7月25日、8月22日、10月17日)。
 花育は6月12日、7月9日・10日(市場訪問)、8月31日、10月22日。
 
 かすみ草栽培関連の学習会は金山普及所の大河内栄さんが講師選定等を詰めておられますが、4月30日(木)に昭和村公民館等での開催予定です。

 
 会津盆地等の桜の開花が、寒い雨のなか、はじまりました。
 青森での桜の開花宣言も平年より10日以上早いようです。三春の滝桜も満開、とラジオは伝えています。
 
 
■Precision breeding to extend flower shelf-life → ダンジガー社の記事(英文)
 
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銀の遮光スクリーン(遮光幕、しゃこうまく)の被覆。
 
 
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三島町滝谷、増水する滝谷川。濁水。
 
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昭和村大岐の滝谷川。まだ澄んでいます。

これから察すると、滝谷川に湯八木沢で合流する東川の濁水が多く(ここの雪どけが進んでいる)、滝谷流下の濁水質になるようです。
 
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大岐の高畑圃場。ここのハウス建てが次の予定です。
 
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2015年4月14日 (火)

かすみ草:スターマイン(カネコ種苗)

■2015年4月14日(火) 雨

 
 12時50分頃に、午前中指定のかすみ草苗・スターマインが到着しました。

 今日定植したエクセレンス→5月になっての定植の最初が、スターマインの順です。
 
 15日は下中津川で花の会議です(協議会、雪室等)。
 

■ 多肥多投時代の終わり → 施肥の見直し(湯田浩仁さん)
 
 
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右のプラグ苗を2寸5分の黒丸ポリポットに植えます(仮植・かしょく)。
 

かすみ草:早生のエクセレンスの定植 第1号

■2015年4月14日(火)曇り


 気温8度。

 午前中、かすみ草エクセレンスを第1号の圃場に定植しました。

 午後は、うねに、パオパオ等で被覆します。

 ハウス内は、水田のように、ぬかるんでいます。


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雪がとけたばかり
 
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定植

 
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下谷ヶ地(しもやかぢ)の目黒寅吉翁の天狗様

■2015年4月14日(火)


 本日は、昭和村で、かすみ草の作業(仮植等)。
 
 昨夜18時より、会津若松市内の蕎麦店2階で8名の会食会がありました。

 そのなかで、1945年(昭和20年)11月27日に80歳で亡くなった下谷ヶ地の目黒寅吉翁の「天狗様」の話を、縁の人から聞きました(曽祖父、ひいじいちゃん、と語る)。

 さっそく、帰宅後に、1985年(昭和60年)3月に発刊された『新・宮川ダム水没地区 松坂(谷ヶ地)民俗調査報告書』(会津高田町)116ページから120ページの目黒寅吉翁の功績を読み返しました。

 生年は記載されていませんが、1865年頃生まれ。幕末の慶応元年頃です。明治・大正・昭和の敗戦までを生きられたなかで、第2次世界大戦と天狗様(弾に当たらない祈願)、博士峠の天狗岩の信仰の話です。
 
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会津美里町のウェブサイトより
 
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  博士峠の天狗岩
 
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 大枝沢の天狗様、柳沢黒岩沢の天狗岩
 

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2015年4月13日 (月)

雪どけと、仕事(かすみ草の栽培)

■2015年4月13日(月) 曇り

 
 今年は雪が多く、雪どけも進んでいますが、平年よりも、かなり多くの雪があります。現在、まだ120cmくらいの雪が田畑にあります。昭和村でも当地・小野川地区は積雪が多いのですが、野尻川筋、西山地域などは、水田の土手が見えるようになっています。
 
 4月になり除雪機で雪を遠くへ飛ばして、圃場の雪を少なくし、融雪剤(もみがらくんたん)を散布して、雨、陽光による融雪を待ち、4月12日に、ようやく1棟のパイプハウス骨組みを建て、ビニルでハウスを被覆しました。
 
 14日には、新しくかすみ草の苗(スターマイン)が入庫します。それはポット仮植します。
 4月はじめに来ている苗を、管理していますが、この早生カスミのエクセレンスを14日に定植するつもりでいます。
 
 雪どけが遅く、しかし昨年末に発注(通常3ヶ月前に発注)した苗が次々と入庫してくるため、仕事が多くなっています。
 
 
■ 4月15日(水)は、雪室運営協議会、昭和村花き振興協議会総代会と昭和村下中津川の農協にて開催され出席します。
 
 
 そのため、14日のJFMA理事会、セミナー等は参加できなくなりました。
 
 
■ 今日(13日)は、午後4時に会計事務所(会社2月末の休業届け作成)、6時に会津若松市内の食堂にて「なかよしバンド」の会合があります(8名)。5月30日の大芦家での演奏会、4月21日より練習会がはじまります。

 
■ 今日は、午前中に、5月23日、24日の郡山市内の放送大学福島センターの講座のための資料と、4月30日(予備日5月7日)の金山町の川口高校での講座の資料作成をします。

 
■ 太陽の花(沖縄県花卉園芸農協)は、4月25日に開業する 沖縄ライカム (イオンモール沖縄ライカム〒901-2300 沖縄県中頭郡北中城村 アワセ土地区画整理事業区域内4街区) の2階にフラワーショップ・マカロン を開店するそうです。花の産地のアンテナショップ。

 この店舗について、26日か27日に訪問視察する予定にしています。

 
 
■ 
 
 


 

 
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現在発売中のクロワッサン誌
 
 
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モミガラクンタン(自家製の融雪剤)を散布した岩下圃場。
 
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地吹雪防護柵をたたみ、また秋に展開
 

 

2015年4月12日 (日)

かすみ草栽培のパイプハウス建てはじめ

■2015年4月12日(日)晴れ


 朝の気温2度、日中5度。晴れ。

 昭和村大岐のかすみ草促成栽培用のパイプハウスを建てる。
 午後にはビニルで屋根、スソを囲う。

 除雪して地面を出してある。

 過日に葬儀があり、今日の天狗様祭りは中止。
 
 
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ビニル被覆、午後4時終了
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隠されてきたセメント工場でのゴミ焼却作業

■4月12日


 8日NHKテレビ放送の番組のなかでセメント製造プラントの高温炉に生ゴミ・タイヤゴム・各種廃棄物が投入されている事実、それも日本国内のセメント工場で日常的に行われていることが放送されました。国内で発生するゴミの1~2割?がセメント工場で焼却され、灰はセメントに混入、排煙の処理については不明でした。

 有償で焼却してセメント会社の収入源となっていると思われ、また依頼する自治体等も焼却・焼却灰の埋め立て等の迂回処理となっていると思われました。


2015年4月11日 (土)

書札礼(しょさつ・れい)、文字の高下

■2015年4月11日(土) 小雨、曇り

 午前に濃霧の土湯峠を越え、福島市内の古文書講座。10時より2時間受講。帰り、会津盆地の日帰り温泉へ。
 
 書札礼、文字の高下を学んだ。継続受講者が3名、新規受講者が3名。60歳以上の方が多い。私は新規。
 
■ 立川さん  → かんじき
 
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福島盆地
 
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最初に人名を特定しました。
 
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徳一と慧日寺 磐梯町、浅岐と沼沢の山論

■2015年4月11日(土)


 本日は福島市。駅前のNHKカルチャー福島(大町4-15)で「古文書ひもとく郷土の歴史1」(阿部俊夫郡山女子大学准教授)を受講。

 
 4月12日(日)は大岐の博士山大枝沢天狗神社祭礼日。ハウス建て予定。


 
■ 昨日(10日)は、曇り、小雨。

 只見町只見地区センターにて奥会津大学実行委員会が開催され、おおよその2015年度の講座の企画が決まってきたようです。11日未明にメーリングリストが届きました。
 当方は 6月17日(水)三島町、11月25日(水)昭和村の講座を担当する予定で、いずれも今年の実行委事務局からの依頼テーマは「コモンズ(共有地、共有地管理)から学ぶこと、未来の資源管理を考える」です。
 
 
■ 三島町町史編さん委事務局の川合さんから、『金山町史』で記載のあった沼沢の五ノ井家近世資料について角田伊一さんによる翻刻資料が届きました。本来、5月連休中に訪問調査の予定でしたが3月に資料が届けられていました。
 1755年 宝暦四年二月浅岐村と沼沢村山論場所絵図(『玄白覚書』(『金山町史』より)浅岐と沼沢の山論)。
 
 延宝年間(1744~1679 延宝六年埒明)に大高森山 とや場峠周辺で浅岐村と沼沢村で境界をめぐる山論が発生したが、金山谷四組の郷頭名主立会で両村の入相(会)地と決した。その75年後に画かれた論所の絵図(角田伊一さんの解説より)。
 

 
■ 4月10日(土) 除雪作業。パイプ出し。昭和村大岐。曇り、小雨。
 
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ハウス建て圃場
 
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■ 奥会津書房で、大石田の和さんから「てだね」(手種)という言葉を聞きました。『会津学7号』の「野菜帖(渡部サクヨ)」のなかでの話題でした。

 自家採取の野菜種のことを言います。


 

 
 
■ 福島県耶麻郡磐梯町(慧日寺(えにちじ)資料館)が2005年に刊行した『徳一菩薩と慧日寺』。最澄の研究者の東洋大名誉教授の田村晃祐氏の「東北仏教文化の開創者 徳一菩薩について」は、

 
 徳一が奈良では東大寺にいた。
 
 当時はひとつの寺院に多くの宗の僧が入っており、東大寺には律宗、倶舎宗、成実宗、法相宗、三論宗、天台宗、華厳宗、真言宗が入っていた。南部六宗というのは東大寺の中にあった宗のこと。
 
 奈良時代の法相宗には中国法相宗の古い教学を伝える元興寺系と、後期法相教学を伝える興福寺系のふたつがあり、徳一は元興寺系に属したと思われる。
 
 東大寺に明一(みょういつ、727~798年)という法相宗の著名な僧がいて、これが徳一の師であった可能性もあるのではないか(13ページ)。

 興福寺の修円(771~835年)の弟子という記録は、徳一は元興寺系で東大寺の僧であったことなどから信頼できない(29ページ)。

 空海が弟子・康守(こうしゅ)を会津へ派遣し、空海が唐から持ち帰った新しい密教の書物を写して広めてくれるように頼んだ。815年(弘仁6年)。
 
 康守は弘仁6年(815)3月26日に下野(栃木県栃木市郊外の岩舟町)の通称小野寺に広智(こうち)禅師の所を訪れて、密教の書物の書写弘通を要請。その9日後の4月5日に会津の徳一を訪れたことになります。


 広智は最澄が31歳の時、2000冊余の仏教書を書写して与えた道忠(どうちゅう)の弟子で、道忠なき後、下野の道忠系教団の中心人物。最澄はおそらく弘仁7年に東国へ赴いたものとを思われ、弘仁8年2月には東国にいたものと考えられる。
 
 空海の弟子康守の訪問の翌年に最澄は東国を訪れ、下野大慈院に広智等を訪れています。最澄からいえば、広智は親しい関係にあり、徳一は広智の論争相手で、この徳一と広智側の論争を最澄が引き継いで論争していったものと考えられ、あるいは論争がはじまっていたのかもしれません(34ページ)。
 
 空海にとっては、別に敵味方の関係はなく、大きな勢力を持っていた東国の代表的教団の中心人物(下野の広智と、会津の徳一)に写経と普及の依頼をしたものでしょう。


 
 
 
 
 


 

2015年4月10日 (金)

NHKテレビ木曜 前田慶次

■2015年4月10日(金)

 母の通院。足の具合。
 
 
 昨夜20時、NHKテレビ 連続11回。6月まで → 米沢藩 前田慶次
■ 品質保証のマーク → 花の日持ち・MPSなど
 
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野尻川 松山 虚空蔵岩
 
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中央奥の山が、ドウガミ
 
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中央の山の尾根が牛首城、野尻川
 
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木流しの木材を上げる場所(野尻川、野尻)
 

2015年4月 9日 (木)

かすみ草、今年のスタート

■2015年4月9日(木)晴れ


 JA会津みどりかすみ草専門部会の平成26年度通常総会が開催され、提出議案12本が原案通り可決されました。

 昭和花き研究会を解散して入会をした私たちも総会からの参加で、新しい形でのスタートとなります。よろしくお願いいたします。
 21名の新入会、高齢等での7名の退会があり、69名が部会員数です。

 総会後、15日開催予定の昭和村花き振興協議会の役員会も開催されました。着任された金山普及所の担当の方からもご挨拶がありました。

 

 
 → 立川さん
 
■ 昼過ぎ、染色剤等のパレス化学の森さん、出水さんが、挨拶に見えられ、農協部会役員会が終わるのを待ち、農協事務所に行かれました。森さんには、これまで昭和花き研究会の染色技法等にいろいろと協力していただき、感謝を申上、昨年から今年の会の解散、新入会等について説明をして、今後も昭和村のかすみ草の件でのご支援をお願いいたしました。
 
 ハサミのクリーニング剤等の昨年の使用状況についてお話しました。
 

■ 夕方、数名の方のところを訪問し、これまでの事情等を説明し、これまでのご支援に、御礼を申し上げました。

 
■ 明日は午前中、昭和村の雪掘り、夕方は会津若松市内。土曜は福島の古文書講習会。


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4月12日、天狗様まつり。博士山大枝沢天狗神社。
 
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しらかば会館での総会。
 
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大芦 小矢ノ原 コガヤ圃場
 
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大芦の雪害
 
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かすみ草
 
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4月17日、福岡花市場でJELFAセミナー

■ → 福岡セミナー

 
■ かすみ草の生長  →  北海道当別 井野農園
 

コモンズという未来

■2015年4月9日(木)

 今年の奥会津大学(同実行委)では、コモンズについてという要望があります。当方の希望等を事務局に伝えていますが、6月17日(水)と11月25日(水)に、三島町と昭和村の共有地管理の実態(コモンズ)について、どうかと以下のような提案しました。10日頃に実行委が開催される予定のようです。

 実行委事務局からは、多様な要望があります。結論を語るのではなく、地域にある素材をもとに、ともに、考えてもらう内容にする必要があります。それにより私の方でも、あらたに調査と研究・思考をしていくことが求められます。

 

 ①「生業と共有地(コモンズ)、村の境界」(6月、三島町会場)

  奥会津では主河川に沿って一定間隔に集落が営まれています。

  それはどうしてでしょうか?

  かつでの生業をささえる山の資源(草や山菜、樹木)との関わりを考えます。

  観察地域として大谷川流域の間方、浅岐を事例として、

  先人の自然認識と管理の工夫に学びます。

 

 ②「昭和村のからむし生産を支えた共有地(コモンズ)のカヤバの資源管理を解読する」(11月、昭和村会場)

  奥会津の昭和村では全集落がアサとからむしの輪作による生業としていました。どのようにしてそれは営まれたのか?

  集落周囲の山地は草地で毎年春に山焼きが行われコガヤ(カリヤス)草地が維持されていました。

  そのコガヤが馬の飼料となり、畑の肥料となり、カラムシ焼きにも使用されました。

  また「イシマグソ(石肥やし)」という畑の小石をわざと残しアズキなどを栽培した工夫も考えます。

 以上が今年の私の提案の要旨です。これがいくつか議論をしながら、実際に行われる内容に収斂されると思います。①では野外観察を予定しています。

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■ 北條浩 『入会・入会権とローカル・コモンズ』(御茶の水書房、2014年、7800円)
 415ページの追記で、著者は、以下のような警鐘を鳴らしている。
 
 「コモンズ」論者が、日本の入会(いりあい)について実地調査を行ったり、研究の対象とするときに、『入会林野近代化法』の論旨や、民法学・法社会学者の「近代化」論をどう克服するかは、きわめて重要な課題である。入会権を前近代的な権利関係と位置づけ、これを個別的私的所有権利へ移行させることをもって、、、すなわち入会権の解体、、、、、入会権の近代化だとすると、当然のことながら入会団体(集団)は解体する。
 
 ローカル・コモンズないしは法社会学において、入会を研究する場合、資料はもとより実態調査をしなければならないのは言うまでもないことであろう。
 しかし、その実態調査がいかなるかたちと意識で行われたかが問題である。実態調査をしたからというだけで入会が解明されるわけではないからである。これは、とくにコモンズ研究者のフィールド・ワークにも要望したい。ということは、ときには、その実態調査が誤った入会についての認識を生むことにもなるからである。
 
 
■ 歴史学研究会・日本史研究会編『日本史講座 第7巻 近世の解体』(東京大学出版会、2005年、2200円)に、谷本雅之「産業の伝統と革新」という論文があります。
 
 幕末・明治前期の産業は、近世社会において定着した諸「制度」、、、「小農」「地域社会」「徒弟制」などの上に展開しており、、、、「在来的経済発展」(260ページ)、近世社会の達成を継承する制度的「伝統」が、この経済発展過程を特徴づけていた、とする。
 「家」制度に規定された小農経営は、農工融合を志向する労働力配分戦略によって市場経済へ対応した。「地域社会」の制約は、一方では取引コストを低減し、生産組織化の進展を可能とする要因ともなった(谷本)。
 
 
 
■ 『岩波講座 日本歴史 第16巻 近現代2』(2014年刊、
 
 坂根嘉弘「地主制の成立と農村社会」の241ページで、
 小作農が行動(小作争議)を起こすには、小作農が農業を継続するという強い意志が必要となる。小作農が農外へ労働力を移していけば、小作地への需要が減少して小作料が農外賃金と均衡するところまで下がるだけで、争議を起こす必要がなくなってしまうからである。
 したがって、争議が起こるには、小作農が農業を継続するという強い意志が必要であった。その条件を満たしたのが、日本の「家」の存在である。
 農民にとって「家」は子々孫々まで受け渡していくべき存在である、そうやすやすと家業・家産からの撤退は許されないからである。以下略。
 
■ 井上真・宮内泰介『コモンズの社会学 森・川・海の資源共同管理を考える」(新曜社、2001年)
 
 田村早苗「山村の暮らしから考える森と人の関係  雪国における森林利用とその変容」は、福島県南会津郡只見町塩ノ岐(しおのまた)のフィールド調査による報告です。
 
 賃労働と雇用、生活と家事の近代化とともに、森林利用は衰退したのである。塩ノ岐では昭和40年代なかば(1970年頃)がその時期にあたる。
 
 藤村美穂「みんなのものとは、何か  むらの土地と人」は優れた論考です。
 「みんなのもの」であることによって、個人の自由で無方向な利益追求が何らかのかたちで制限されてきたという事実、、、、和歌山県龍神村小又川地区の事例研究で紹介している。
 
 
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2015年4月 8日 (水)

本日は葬儀(故・船木宗松氏 96歳)

■ 平成27年:2015年4月8日(水) 昨夜から雪でした、、、


 
 本日は、葬儀。火葬後、夜まで。
 広雲院宗岳賢道清居士



 4月9日は、午前10時より、平成26年度 会津みどり農協かすみ草専門部会総会。昭和村しらかば会館。出席。

 なお、11時45分より同所2階和室にて昭和村花き振興協議会役員会(総会日程等について)が予定されています。
 
 15日に雪室協議会、花き振興協議会が予定。14日には第1回目のかすみ草プラグ苗スターマインが到着します。
 
■ 4月11日(土)午前10時~、古文書ひもとく郷土の歴史 講師郡山女子大学准教授 阿部 俊夫。NHK文化センター福島教室。5月2日(土)、6月6日(土)。福島県福島市大町4番15号 チェンバおおまち2階 

 
■ 13日午後4時、会計事務所。夜は会津若松市内(NB)。

 
24日(金)18時。喜多方市寺町4761大和川酒造北方風土館 「会津の文化を問いなおす」 に参加。入場無料。19時30分からの懇親会は有料(3000円)。
 赤坂憲雄氏、五十嵐源市氏、五阿弥宏安氏。

 
25日(土)12時、15時30分、東京日本橋馬喰町2-3-3アムコビル「編ム庫」。郷土映像ラボラトリー「奄美の泥染」「昭和村のからむし」上映。1500円。
2回の上映に参加。24日に15時、19時にも上映とのこと。 → 編ム庫 
 
 
 
30日(木)10時、金山町川口 川口高校。郷土体感プログラムにて2時間の講義。

 
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あさづき



2015年4月 7日 (火)

弔問へ

■2015年4月7日(火) 


 本日、父母は会津若松市内の病院に通院。
 
 私は、福島市(日帰り)。

 明日8日は、終日、会津坂下の農協葬祭会館で伯父の葬儀。火葬後まで。

 9日は午前10時 かすみ草専門部会総会(しらかば会館)。終了後、花き振興協議会役員会(15日頃に花き振興協議会総代会予定。雪室運営協議会も15日10時頃)。
 

 
 
■ 昨日、6日は定期通院の後、午後に会計事務所にて外部監査(最終)。2月末で販売会社が休業、3月の残務について。
 午後3時、三島町宮下の奥会津書房に遠藤由美子編集長を訪ね、4月24日の喜多方でのパネルディスカッション(座談会)の打ち合わせ。テーマは会津の恵日寺の徳一、司馬が見た会津、、、、徳一の地元の磐梯町長、福島県博の赤坂憲雄館長、民友新聞社長(徳一を研究されている)。

 5日の雨の日、磐梯町の恵日寺・同資料館を訪問してきました。故・山口弥一郎先生の蔵書・ノート類が同館所蔵となっていることをしりました(7年ほど前)。
 
■ 昨日(6日)の17時に昭和村小野川の三島神社参道南手の家を弔問。伯父の宗松さんが95歳で亡くなり、8日通夜(自宅)、9日葬儀(坂下)。遺体の枕元で、テーブルを並べ、親族とともに、夕飯を食べました。
 母は小野川生まれで、母の姉が同村の宗松さんに嫁ぎました。手伝いの人は小野川の近所の皆さんです。
 ふだんは、あまり会うことのない親戚・類族との話も、こうした葬儀前では貴重なものです。家や一族の来歴を確認しあう場として過去からずっと機能してきたものです。

 
■ 帰宅すると、古書店から本が宅送されていました。

 司東真雄(しとう・しんゆう)『東北の古代探訪 みちのくの文化源流考』(八重岳書房、1980年)です。

 明治39年 岩手県北上市生まれ、極楽寺住職。岩手県・宮城県史編さん委員等。

 

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2015年4月 6日 (月)

毎年、千本宛ノ松・杉用木、可被御祈念之事(慶長五年)

■2015年4月6日(月)


 本日は、通院日。
 
 午後は、外部監査日。
 
 夕方に小野川へ弔問(95歳、8日午前11時30分会津坂下の農協葬祭会館で葬儀)。
 
 
■4月5日の福島県中世史研究会は13名の出席で、福島県立博物館第2会議室で開かれ、郡山市の高橋明先生による「郡主と寺社」、田島の渡部康人さんの「長沼氏の家系図(案)について」。三春町の文書も1点閲覧しました。
 次回は6月14日、福島県立博物館会議室(予定)。

 
 1600年(慶長五年) 上杉家の直江兼続が小田切政長を通じて安積八幡宮宛に出した掟書には、
 
 「毎年、千本宛ノ松杉用木、可被植付之事」
 
 
 という指示が含まれている。
 
 
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 1557年(弘治三年) 田村隆顕条書 福聚寺文書では、
 
 寺中之竹木、所望之族候共、不可有御同心事

 
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長沼氏所領図
 

 
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■ 盛本昌広『中近世の山野河海と資源管理』(岩田書院、2009年、8400円、400部発行)
 
盛本昌広『軍需物資から見た戦国合戦』(洋泉社新書、2008年、780円)

 などに寺社の樹木苗の販売や管理が紹介されています。

 

 

 

2015年4月 5日 (日)

昭和村松山と野尻のオドガミ 馬追山峠 和久入古山の神

■2015年4月5日(日) 強風雨


 
 本日は、福島県中世史研究会例会に出席(会津若松市・福島県立博物館)。

 小野川の親類(伯父)の宗松さんが亡くなられたと連絡があった。今週は葬儀となる。

 
■ 4月4日は、昭和村松山1軒、野尻3軒を訪問して話をうかがいました。美女峠の通行、運ばれた商品、意味などを調べています。三島町間方との関連です。
 「現在の三島町間方の人たちが野尻の田植えに(手伝いに)来ていた」という話が出てきました(昭和2年生、佐藤信子さん談。戦後の話)。

 「下中津川大火(昭和26年5月)の頃に間方の土蔵の仕事をやった(左官業)。土壁に混ぜるイナワラが無いので、草を刈って乾かしてから小切ってかべに混ぜて塗った」(大正12年生の佐藤庄市さん)。
 
 「野尻和久入沢に炭焼きに間方から数名きていた(戦後すぐ?)。ヤマツ(渡部源作)の焼き子として」(佐藤庄市さん)
 


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 3月18日に佐藤庄市さん宅で、はじめて「オドガミ」という地名を聞きました。4月1日に小林弥吉さん宅での地名地図の確認補正調査で、小林盛雄さんからも「オドガミ」に関する情報を聞きました。
 
 4月4日に、松山字居平の栗城金一さん(大正14年生)に、集落内を歩きながら「オドガミ」の場所、松山の草刈り場で共有地(牧野組合登記)であることを教えていただき、なお語源については不明とのことでした。
 
 帰宅後、3月7日の調査資料等を見直しました。

 
 1714年(正徳四午年)の『松山村絵図』(絵図師佐々木庄次右ェ門作)に、「おどかミ山」「三松山」「いと沢」「高平」が掲載されていました。
 
 『昭和村の歴史』(1973年)の117ページに、庄次右衛門は1695年(元禄八年)生、1776年(安永五年)に82才で没。利右衛門、秀徳。

 『大沼郡誌』(1923,大正12年)631ページでは、野尻松山村の名主太右衛門の二男にして、元禄八年を以て生る。同村佐々木覚兵衛の養子と為る。幼名利右衛門、字は秀徳、、、、、、、庄次右衛門物産を江戸並に大阪に■ぎ、利する所多く、、、、、野尻郷頭代理を命ぜられ、職に在ること八年、、、、下新田地内の小峠頂上三間余を掘り下げ、交通に便す、、、、明和七年(1770)表彰、、、

 
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「あそこがオドガミ」と金一さん
 
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1714年(正徳四午年)の『松山村絵図』 おとかミ山
高平 いと沢 三松山
 
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鷹待場 駒込沢 愛宕 高平
 
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瀧之沢 まおい山峠 魔押山。中央が「虚空蔵岩」と思われるが記名無し。

柳原 本田 下根岸

 
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馬追山峠(松山-玉梨川上)
 
 
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野尻-和久入沢-古山の神-こはげ沢-玉梨川上


野尻の和久入(わぐいり)沢から尾根越え「古(ふる)山の神」(石祠がある)を通り、こはげ沢に抜け、玉梨に向かう。
 
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山頂から「柳津の虚空蔵様を拝むから、お堂拝み(おどがみ)」(野尻 小林盛雄さん)


「おどがみ(さんまつ:三松山)さ登ると、喜多方の蔵の白い壁が見えるっていう」(野尻 大正12年生の佐藤庄市さん、明治31年生の父・庄平さんと親子で左官業)。

 庄市さんの父・庄平さんは喜多方の左官屋(かべや)で六年間修行(弟子)し独立した。大正12年9月1日の関東大震災の復興の建築現場に庄平・妻のシチ(明治38年生)と、3月に産まれたばかりの庄市を連れ二年間出稼ぎ。そこでタイル貼りとかコンクリ・モルタル施行の技術を取得し帰郷。喜多方で学んだ土壁・漆喰の技法とともに、金山町川口から只見・小川・朝日・南郷山口・檜枝岐まで南会津郡内で左官業をする。この仕事は5~6人で仲間を作ってやった。庄市さんは12才からこの組で父のもと働いた。そして昭和17年出征。
 
 

2015年4月 4日 (土)

会津よつば農協誕生へ

■4月4日の新聞記事。


会津地域の4農協が合併し、「会津よつば」へ。
会津みなみ(田島等)、あいづ(北会津等)、いいで(喜多方等)、みどり(会津坂下・昭和等)。
 
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佐藤孝雄『過疎といわれてオタオタするな じねんと20年の記録』(ふるさと企画、2005年)より。68ページ。1995年
 
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雪どけ水
 
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大岐のかすみ草圃場の除雪。 2800
 
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4月3日入荷のかすみ草ポットピンチ苗。
スミカ・エクセレンスFG478(早生)
 
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父・清一のカンジキ作り(輪)

 

海を埋め立てる土の搬出元

九州(門司、天草、五島、佐多岬、奄美大島、徳之島)と瀬戸内から運ばれる土砂 → テレビ

 
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桜の東京

■2015年4月4日(土) 曇り

 
 本日は昭和村で除雪の予定。雨予報。
 明日は、福島県立博物館で福島県中世史研究会があり参加。
 
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 昨日は曇り、夕方から小雨。東京日帰り。
 渋谷の染料店(京都の田中直の支店)。布の染めのための媒染材料購入。

 時間があったので、渋谷・新宿の生花店を見ました。
 また下北沢の食堂にも行ってみました。
 
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2015年4月 2日 (木)

除雪続く 晴れ

■4月2日(木)晴れ

 午前、岩下(上)圃場に籾殻くんたんを散布。融雪促進。昨年秋に自家製くんたん、4袋。
 
 大岐のかすみ草圃場の除雪(除雪機による雪飛ばし)。

 
 こちらはプロの除雪、道路 → 本名敬君
 
 
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4月1日、雨の一日、 24日の催事(喜多方)

■2015年4月2日(木)


 本日は、大岐の家向のかすみ草圃場の除雪作業4。
 
 4月1日は雨の一日。

 午前、午後とも昭和村で美女峠に関連する話をうかがう。午前は下中津川新田の佐藤平喜さん・郁さん夫妻。野尻の小林盛雄さん、小林弥吉さんには午後5時まで。

 
 
■ 4月24日に喜多方市で開催する催事のチラシが出来ました。
 
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2015年4月 1日 (水)

平成26年度 花の日持ち認証(平成27年3月30日付け)

■2015年4月1日(水)

 3月30日付けで、認証された結果が公表されています。会津みどり農協かすみ草専門部会も。 花市場、小売業も取得されています。 農林水産省平成26年度花き日持ち性向上対策実証事業 → MPSジャパン
 
■ 4月3日は、今年第1回目のかすみ草苗が来ます。

 4日(日)午後は、会津若松市内の福島県立博物館にて第29回 福島県中世研究会(非公開勉強会)。年4回開催、次回は6月の予定。事務局は会津坂下町曲田 柳内壽彦先生。


 高橋明先生の「郡主と寺社」

 奥会津博物館の渡部康人さんの「長沼氏の家系図案について」

 3月25日に大部の資料が到着しておりそれを読んで参加となります。


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■ 河北新報より → 織姫記事3月30日

 
 「織姫」が紡ぐ地域の絆 修了生100人超


自作の帯を披露する織姫の(左から)横田さん、余郷さん、棚橋さん、関根さん
拡大写真
 福島県昭和村のからむし織り体験生(織姫)制度の修了生がことし、100人を超えた。修了後も約30人が村に残り、新たな体験生を迎え入れる。織姫と村は末永く絆を紡いでいる。

 織姫21期生4人の卒業制作展が3月、村であった。課題の帯のほか、それぞれ工夫した服飾小物、草木染の糸など力作が並んだ。
 からむし織は多年草カラムシから繊維を取り出して織る。村は600年以上、栽培技術を受け継ぎ、県重要無形文化財にも指定されている。織姫制度は1994年に始まり、修了生は今回で102人となった。
 21期生4人はカラムシを育て、機を織るまでの工程を1年間学んだ。愛知県出身の余郷美世さん(43)は「素材を作ることから始まる体験はほかではできない」と応募した。
 4人のうち3人は今後も研修生として村に残り、村は最長4年間サポートする。茨城県出身の横田真理子さん(36)は「カラムシから取り出す繊維はキラキラ輝いていた。もっと技術を磨きたい」と意欲的だ。
 村人と先輩研修生に見守られながらの体験を、茨城県出身の棚橋祐美さん(32)は「温かい村の人と風土、織姫の先輩が支えてくれた」と振り返る。
 唯一の県内出身、棚倉町の関根繭野さん(33)は以前から織姫に憧れていた。「制度が続いていて良かった。カラムシ栽培を熟知したお年寄りにもっと学んでみたい」と村に残る道を選んだ。
 育成する側も世代交代が進む。指導員はこれまで村のお年寄りが務めていたが、ことしは織姫2期生の羽染桂子さん(41)がその役割を担った。羽染さんは「最初は都会から来た女性の対応に村人が慣れていなかったが、今は交流を楽しみにしている」と話し、織姫と村のつながりの強さを語った。


2015年03月30日月曜日
 

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かすみ草写真集1

  • 20061010img_3904
    348枚。菅家博昭撮影。かすみ草生産地での撮影。

奥会津の風景01

  • 20060801img_4064
    387枚、菅家博昭撮影。おもに昭和村など。

2006欧州視察

  • 20061101dsc00245
    2006年11月 JELFA欧州視察の個人写真記録。菅家博昭撮影。

2010年1月

  • 20100131dsc00811
    2010年1月25日~27日、熊本県

2010年02月 かすみ草栽培

  • 20100212dsc00221_2
    2010年2月12日 かすみ草ファンタイムの砂あげ苗のポット仮植作業。撮影菅家博昭。

2006年夏の記憶

  • 20060913img_9418
    2006年の奥会津・昭和村、カスミソウ栽培の風景。菅家博昭撮影。

2006年秋の記憶

  • 20061114img_1169
    2006年秋の福島県奥会津の風景、カスミソウ栽培の様子など。菅家博昭撮影。

2006年12月冬の沖縄

  • 20061203img_3812
    2006年12月の沖縄県内。花の生産地や街の様子。菅家博昭撮影。

2007年1月から

  • 20070401img_9892
    2007年1月から奥会津などの風景、菅家博昭撮影。

2006北海道かすみ草サミット写真誌

  • 20060715img_0143
    2006年7月13日、14日。北海道夕張郡由仁町で開催された第4回全国カスミソウ北海道サミットinみなみそらち・ゆに

2007静岡カスミサミット東京

  • 20070201img_9619
    2007年2月1日に東京都内・大田市場で開催。

2007年4月から

  • 20070426img_5713
    2007年4月から、奥会津の風景、かすみ草生産作業風景など、菅家博昭撮影。

2007年5月の風景

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    2007年5月の奥会津の風景、かすみ草生産。菅家博昭撮影。

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  • 20071011ifexdsc02602
    144枚、菅家博昭撮影。幕張メッセ花の展示会。

2007年11月

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    2007年10月オランダ、アムステルダムのホルティフェア、アールスメールマーケットでの印刷物資料

2015 からむしフェア

  • 201507_19img_6580
    2015-07-18,19福島県’奥会津’昭和村で開催された第30回からむし織りの里フェアより。昭和村佐倉(からむしフェア)、喰丸小学校(新作記録映画 春よこい)大芦(からむし畑見学・からむし剥ぎ、からむし挽き。保存協会)地内。菅家博昭撮影。76枚掲載(372枚撮影)。キャノンEOS、ソニーTX。
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